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ペーパーバックの数が増えていく TEXT+PHOTO by 片岡義男

46 利己心という徳行

46 利己心という徳行_b0071709_10381086.jpg アイン・ランドのこの本が、自分のペーパーバックのコレクションのなかにあるのを確認するのは、たいへんにうれしい。『利己心という徳行』という彼女の著作の、一九六四年のシグネット・エディションだ。二十代なかばの自分がこの本も買った事実を、まずは喜びたい。まずはとは言っても、買ってから四十年がすでに経過しているのだが。
 セルフィッシュという言葉は、自己本位な、利己的な、わがままな、といった意味の形容詞だ。それの名詞型が、この著作のタイトルにある、セルフィッシュネスだ。肯定的な意味はほとんどないように思われているが、アイン・ランドによれば、これこそが人にとってもっとも重要な、倫理的な規範なのだ。
 利己心とは、自分にとってもっとも重要だと自分が思うことを、徹底的に追求してやまない姿勢を意味している。自分にとってもっとも重要なことをかたわらに置き、自分の外のどこかにすでにずっと以前からある規範に身を寄せるという生きかたのなかに、いったいどんな倫理的な規範があり得ると言うのか、とランドは主張してやまない。
 人がこの世を生き抜いていく営みにとって、立脚点となり得る唯一のリアリティは倫理的な規範であり、自分の関心や興味、方針などを、合理という論理のなかでどこまでも追求することをとおしてのみ、それは生み出されてくる、とランドは説く。そしてこのような生きかたを可能にするためには、およそ考え得る最大限の自由がないと、どうにもならない。だからアイン・ランドは、これこそがアメリカの神髄だと言っていいほどの、もっともアメリカ的な自由を信奉する人だ。
 自分にとっての最大の関心事を徹底的に追求するにあたっては、常にその人はそれを邪魔したり妨害したりする力と、可能なかぎりどこまでも戦わなくてはいけない。そしてその戦いは合理という論理のなかでおこなわれるのだから、追求してやまない利己心は、徹底した社会化の過程をくぐり抜けていく。この世を生き抜いていくにあたって、人がなんらかの価値を生み出すのは、唯一このようにしてであるというのが、アイン・ランドの提唱したオブジェクティヴィズムだ。副題にあるとおり、これはまさに、「エゴイズムの新しいとらえかた」だ。
 アイン・ランドの考えかたは、完璧に新しいものではないし、画期的なものでもない。アメリカにはその創世の時からすでにある、したがってもっとも古い自由主義だ、と言っていい。もっとファナティックな自由主義がいちばん古いとするなら、合理という論理のなかを人が生き抜いて生み出す徳行としての価値、などと厳しい条件をつけるランドの自由主義は、アメリカで二番目に古い自由主義だということになる。
# by yoshio-kataoka | 2006-11-20 10:41

45 「即興的散文」とはなにか

45 「即興的散文」とはなにか_b0071709_2283752.jpg ペンギン・ブックスが自分のところからすでに刊行されている数多くの作品のなかから、「エッセンシャル・ペンギン」として四十冊を選んで出しなおしたとき、ジャック・ケルーアックの『オン・ザ・ロード』には、このような装丁があたえられた。一九九十年代の後半のことだったと記憶している。『路上にて』はこうもなり得るのか、と思いながら買った。その当時の感覚で見て、これはいまふうのデザインの一例だったのだろう。よく見ると描かれている自動車は一九五十年代のものだ。この版はいまでも手に入るようだ。
 サル・パラダイスとディーン・モリアティというふたりの青年が、アメリカを放浪者のように旅をしていく様子を描き出したケルーアックの文章は、「スポンテイニアス・プローズ」と呼ばれた。「即興的散文」だ。放浪の旅という体の動き、そしてそれにともなう思考や感情の動きを、動きのままに文章へと移し替えていく。文章だけが興にまかせて垂れ流されるのではなく、文章よりも先にまず体の動きがあり、それにともなって必然的に起こってくる思考や感情の動きが、それに続く。自分が体験していくそのようなさまざまな動きに対して、自分が忠実なままであるかぎり、文章も動きをそのままに写し取る。「即興的」とは、そのような意味だ。ケルーアックが『路上にて』で試みた文章は、体の健康さのようなものが忠実に反映された、きわめて健全なものであり、すこやかですらある、と僕は感じる。
# by yoshio-kataoka | 2006-11-14 22:10





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