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ペーパーバックの数が増えていく TEXT+PHOTO by 片岡義男

56 奇妙な味、という流行

56 奇妙な味、という流行_b0071709_12101042.jpg 一九六十年代に奇妙な味というものが流行した。ほんのりと薄気味悪いような、あり得ないけれどももし現実にこうだったら嫌だな、と思いつつもなぜか面白い、小味のきいた怪奇趣味ふうの、ごく短い短編小説が、奇妙な味、と総称された。ロアルド・ダールやロッド・サーリングたちの作品を、当時の先端的な読書人たちは好んだ。
 カートゥーンの世界にも、奇妙な味の人たちが、何人かいた。僕がペーパーバックで一冊だけ持っているこのゲイアン・ウィルスンも、そのなかのひとりだった。一九六十年代なかばの東京では、アメリカの月刊雑誌『プレイボーイ』に人気があった。なかでも需要が高かったのは、アメリカからの乗客が機内で読んで捨てていった『プレイボーイ』が、東京の古書店へとまわって来たものだった。カラー印刷されたヌードのページを無修正で鑑賞することが出来たからだ。通常のルートで輸入された『プレイボーイ』は、ヌードのページが黒い油性のマジック・インキで幅広く塗りつぶされるか、サンドペーパーで削り取られていた。
 当時のこのような『プレイボーイ』で、僕にとってただひとつ面白いと思えたのは、ゲイアン・ウィルスンのカートゥーンだった。一ページ分のスペースをフルに活用した、美麗という呼びかたがびったりくるようなカラー印刷で、ウィルスンのカートゥーンが、多いときには三点は掲載されていた。あのカラー作品はかならずや何冊かの単行本になっているはずだが、僕はこれまで一度も見かけていない。
 僕が一冊だけ持っている彼のペーパーバックは、一九六五年にエイス・ブックスから出版されたものだ。奇妙な味とは言っても、登場する人物たちが妖怪や怪獣、得体の知れない生き物、異星人などであり、彼らが普通の人たちとともにカートゥーンの画面のなかにいるとき、そこにカートゥーンならではのユーモアが表現されるという趣向だから、ユーモアそれじたいの発想や構造は、アメリカの伝統と言っていいカートゥーンと、なんら変わるところはない。
by yoshio-kataoka | 2007-02-02 12:20





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